ここ数年、やはりコロナだワクチンだで不調の方が激増し気にしてなかった方も発酵食品が身体にとても良いと気付き始めました。
私の場合はここ2〜30年は発酵はライフワークであらゆる物をトライザリトル発酵に挑戦、育みをしていました。
日々毎日何かしら発酵と関わり口に肌にしております。
そして類友なのでそんな友人が発酵をもたらしてもくれます。美味しい!
お漬物はその友達のおかげもあり常備、自作のお漬物もあり、甘酒も出来るだけ常備、飲んで健康なドリンク常備、ってな具合です。
お味噌は毎年作り過ぎて1番美味しいタイミングで食べれて無いのが唯一の悩み。
近年お味噌作りコントロールをしています。
発酵が流行るのは良いですが一時的では無くライフワークとして続けて行く世の中になれば良いなぁと思います。
特に日本人はそれをいにしえから続けていた民族なのでDNAに問うて目覚め自分が楽なやり方を見つけて続けて行って欲しいです。
人間はお腹の中の乳酸菌や酵素で身体の強さが変わると言われています。
私は人間はホルモンには抗えないと良く接客時にもお話ししますがそのホルモンを動かす源もまたそれらだと思うので良い食べ物を口にしたいと思う訳です。
そしたら思考も変化して当たり前だと相成ります。
私は沢山の発酵で生じた乳酸菌さん達に支えられコンニチを迎えられています。
ありがとうございます!
家の中では色んなスタイルでシュワシュワとなっております。
因みに私の甘酒の思い出は幼稚園〜小学校の頃、ばあちゃんが作ってくれた甘酒とちらし寿司。
いつもお祭りの頃、電話がかかって来て「なるさん甘酒いるんな?何リットルいるんな?」と聞かれて私は2リットル2本を所望しておりました。
毎日歯をコツコツと鳴らしながらご満悦で飲んでいたのですがある日そのばあちゃんは私の本当のばあちゃんでない事を知らされます。
実はそんなたいそうな話では無いのですが私が産まれた家のお向かいの家族と親戚よりも親戚として育ちました。
なので大きくなる迄そのお向かいの家のばあちゃんは本物のばあちゃんだと思って育ちました。
ばあちゃんも実の孫よりも嗜好が近い私を大事にしてくれて同じ様に孫として扱ってくれました。
血の繋がりが無い事を知ったのは小学校高学年くらいだったかもです。恥
そんなばあちゃんの事を近年良く思い出します。
次の次元に行く前のばあちゃんとの最期の思い出は私の車が見えなくなる迄見送ってくれた姿をバックミラーで見た時でした。
後日ばあちゃんは医療ミスで突然に飛び立ってしまいました。
私は甘酒を作る度にばあちゃんを思い出して感謝しています。
私はチートしながら失敗無く作っているけどばあちゃんはこたつの中で丁寧に私を思って作ってくれました。
私を健康にしてくれる為、美しい乳酸菌を発酵させてくれていた訳です。
大人になる迄ずっと作ってくれていました。
これがどんな愛情だったかを今ならもっと分かります。ばあちゃんありがとう。甘えまくってごめんなさい。
そこのばあちゃんの娘であるおばさんもいつも七輪で私の為にお魚焼いてくれたり食パンを焼いてくれたり小さい頃から食いしん坊の私を喜ばせてくれました。良く思い出します。
この歳になると昔の事を思い出しまくります。
