2018-03-01 pixie

健康のこと

優しい食品を生みだす方々は優しい人が多いですね。

そんな好きなお方の一人

くぼさんのお豆腐の久保さんがFacebookでシェアをしていた

記事をシェアします。

この秋月医師は有名なお医者さんです。

毎日食べるごはんがどれほど大切か

そしてその食材選びがどれほど重要か

を教えてくれています。

 

私も日本中から色んな身体と心の相談を受けますが

今の所以下のこれが私の一番感じる結果です。

 

転載

『自然療法で病気が治っても、

その後もとの生活に戻ってしまう人がたくさんいるため、

桜沢如一先生も、「人を治すのが一番難しい」と言っています。

病気は治せても、病気の人を治すのは難しい。

東城百合子先生も言っています。

「根のごとく枝葉は育つ」

根っこを育てることが大事。病気は表面に出てきた枝葉にすぎない。

人の根っこを変えなければ、枝葉はいつまでも変わらない、ということ。

知らないのと知っているでは、これまた運命の分かれ道。』

 

私もいつもこの事を感じながら相談を受けています。

その人本質が変わらないと身体も変わらない事 多々です。

 

 

と言うわけで、時間がある時にpixieからの伝言の如く

身体にしてあげて〜なススメをブログに書こうと思っています。

一人一人に同じ事を何回も何回も伝えるのは大変疲れます。

なのでブログに残せばそれを読んでもらったら伝わるかなと思いました。

ぼちぼちと書いていきますね〜。

で今日は話戻って久保さんのシェアの長崎の被曝をされたのに

長生きして沢山の患者さんを診たお医者さん秋月医師の

お話を転載します。以下!

 

**************************************

 

放射能に砂糖は厳禁なのだということ

1916 年~2005 年。長崎市万才町生まれ。
当時の浦上第一病院医長。
’52 年に聖フランシスコ病院医長、’86 年顧問。

爆心地から1.4km で被爆、医師として被爆者の治療に当る一方、永年に渡り被爆者の証言の収集を行った。

吉川英治文化賞、ローマ法王庁の聖シルベステル勲章、他。著書に長崎原爆記、死の同心円。

(プロフィールと写真・図表は長崎放送HP より)

(以下秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊より引用)

秋月医師は昭和20年、長崎原爆で病院勤務中被爆した。

その病院がたまたまミソとショウユとワカメが大量に保存してあった。食糧不足のおり毎日ワカメの味噌汁を飲んでいたためか、患者と医師、従業員に原爆症が出なかったことが評判となり、たちまち近隣諸国に広まった。

チェルノブイリ原発事故前後のミソの輸出量の比較をすると明らかに、ベルギ-・ドイツ・オランダ・イギリス・フランスなど欧州で増加。特にベルギ-は39トンから150トンと輸出量が増加している。

秋月博士は長崎市の聖フランシス医院の内科部長であった。1945 年8月、長崎に原爆が投下されたとき、同病院は爆心地からほぼ1キロ半余り離れたところにあった。

同病院のほとんどの患者は、原子爆弾の第一撃からは生き残ったが、まもなく爆弾から飛散した放射性物質による放射能疾患に取りつかれてしまったのである。

このような状況において、秋月博士の行った処置は、患者ならびに医療スタッフに、玄米ご飯、味噌汁、醤油汁、ワカメなどの海草、食塩などの食事を厳格に守ることを命じた。

このような食事を患者と病院スタッフに守らせ、そして砂糖の禁止と、甘いお菓子を絶対食べないように命じたのである。
このような措置のおかげで、他では被爆者が放射能被曝障害で次々と死亡したが、同博士のところの患者とスタッフは、一人として被曝による犠牲者を出さずにすんだのである。

◎秋月博士の指示「塩分を多くし、甘いものはやめなさい」

同博士は、次のように命じた。

「私が、炊事に携わる人々と医療スタッフに厳しく命じたことは、塩を少しまぶした玄米のお握りと、それに味噌を多めにいれた濃い味噌汁でした。砂糖は一切使わないよう指示しました」

また、同博士は

「この指示に従わない者は、砂糖は血液を駄目にするので砂糖はやめなさいと、情け容赦なくしかりつけました」という。

秋月博士は、このような指示の結果を、次のように明らかにしている。

「このような食事によって、わたし自身、放射能障害をまぬがれ、医者としてきつい仕事をこなすことができたのです」

「放射能は致命的な量でなかったかもしれないが、岩永修道士、野口牧師、村井看護婦婦長もそうですが、その他の病院スタッフ、入院患者とわたしを含めて、みな大変危険な放射能塵の中で生きながらえたのも、このような食事法によってなのです。

疲労や原爆症を克服して、毎日無事に働くことができたのも、また放射能障害を免れたのも、この様な食事のおかげです」

◎秋月博士の被爆体験
1945 年8 月9 日、長崎に原爆が投下された。

その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。

(中略)

さらに博士は、次のように職員に命令したという。

「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」

(秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版)

「放射線宿酔」と呼ばれる。

レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。

みそ汁の具は、カボチャであった。

のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。

砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。

すると、どうであろう。

そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。

ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。

このことは、私にとって大きなショックであった。

食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの重い価値を知り驚嘆した。

ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。
博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、のちにこう語っている。
「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」

(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊より引用)

※上記記載の塩は、伝統的製法で作られたものです。(いわゆる自然塩)

(上記の方法で)「助かった人たちも、その後砂糖を食べた人は全員死んでしまった」

マクロビオティックをやってる人にはその理由も分かると思いますが、知らない人は驚きますよね、きっと。

普段の食事がいかに大切か。

そして、そのときだけ対応すればいいというものでは、せっかく助かったいのちも一瞬で失ってしまうということ。

自然療法で病気が治っても、その後もとの生活に戻ってしまう人がたくさんいるため、桜沢如一先生も、「人を治すのが一番難しい」と言っています。

病気は治せても、病気の人を治すのは難しい。

東城百合子先生も言っています。

「根のごとく枝葉は育つ」

根っこを育てることが大事。病気は表面に出てきた枝葉にすぎない。人の根っこを変えなければ、枝葉はいつまでも変わらない、ということ。

知らないのと知っているでは、これまた運命の分かれ道。

 

 

**************************************

 

原発事故が起こり何年も収束出来ない日本に生きる私たち

今一度、この食と言う日々の何気なく見えてとても重要な事を

考え直してみるのも良いのではないでしょうか。

あと、自分と言う人間、自分自身も見つめ直してみるのも

良いかなと私自身よく見つめています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。